LOGIN「……ちょっと、待ってくれないか」料亭を出たところで父が声をかけ、花と大雅は振り返った。……どうして追いかけてきたのか、その表情を見てわかった気がする。「春希は……大きくなりましたか」「元気ですよ」答える大雅に、父は頭を下げ……並ぶ2人を見つめる。「そうですか……それなら良かった」父はもう一度頭を下げて、花と大雅を見送るようその場に佇む。「いつか……」大雅は花の肩をしっかりと抱き、父に見えるように花の手を取った。「いつか春希が自分の生い立ちを知りたいと望んだら、その時は俺たちが話します」「それで十分です。私から会いたいとは言いません」父は花に視線を移し、小さく言った。「幸せに……」これで二度と会えなくなるわけじゃないと思うのに、花の涙は止まらなかった。年月は埋められない。父の罪も消えない。……それなのに私は、こうしてこの人に守られたままでいいのか。……国民的スター、鈴里大雅に。「おじさんを脅していた取引先の男にも捜査のメスが入ったらしいよ。おじさん自身も会社の不正について事情聴取を受けて、自分が関与したことは全て話すらしい」「哲平にはホント、お世話になりました。……これ、自家製の漬物を作ったから、白米のお供に食べて」お土産として包みながら、父のその後を教えてくれた哲平に、花はそっと不安を漏らす。「お父さんのこと、新聞沙汰になるのかな……」「少なくとも、今すぐ大々的に報道されるような話じゃないと思うけどな」「……哲平、いつまでもなにやってんだ?……ん?」大雅が眉間にシワを寄せて2人の間に入っていく。哲平は慌ててリビングに戻り、様子を見ていた花園ミミに笑われていた。父との再会から数日が過ぎ……この日大雅と花は、哲平と花園ミミ、そして春奈・圭一夫妻を自宅に招き、長い間心配をかけたことが解決した報告として食事会を開いていた。大雅と2人で料理を運ぶと、春奈の隣に自然に春希がいて、2人を穏やかな瞳で見守る圭一にも気づいた。……大雅に聞いている。この後、彼は春奈と圭一に春希の今後について話をするつもりだと。「……正直、仕事は極限まで減らしたい」「まさか!今でも殺到するオファーを捌くのに、三井さん苦労してるみたいよ?」皆で花の手料理に舌鼓を打ちながら、ボヤく大雅の言葉にミミが素早く返した。「本当に、感謝しきれないほど稼がせ
都内の料亭の一室で、花は隣に座る大雅を心配そうに見上げた。「あの、大雅さん……無理しなくてもいいと思うんです。けど、直接言いたいこともありますよね」「俺なら大丈夫だ。……それより、花だろ?」「私……ですか」「あぁ。俺は今日、花のためにここにいる」数日前、探偵が突き止めた父の居場所を訪ねた哲平が連絡をくれた。それによると、少し痩せたが父は元気で、日雇いの仕事をしていると教えてくれた。『花に会う約束をさせた。日にちは合わせるそうだ。俺が迎えに行って、確実に連れて行く』「でも、哲平も忙しいでしょ?」『それが、担当する女優が突然変わってさ。……なんとあの花園ミミさんのマネージャーに抜擢されて』哲平は嬉しそうだった。大御所女優もいいが、売れっ子スターである花園ミミのマネージャーともなれば、今後どう彼女をマネジメントしてさらに魅力を引き出していくか……話ぶりから哲平の気合いを感じる。「だから今回のことにも理解がある。最後に俺がしてやれることだ。しっかりやってやれって言われたよ」「そうだったんだ……」落ち着いたらミミを食事に誘おうと心に決め、その話を大雅に伝えた。「……早いほうがいいな」大雅は花の話を聞いてすぐにメッセージアプリを開いた。……多分、春希を預ける春奈・圭一夫妻に都合を確認しているのだろう。やはり春希を会わせるつもりはないらしい。話はすぐにまとまり、父との再会は2日後に決まった。場所は大雅の提案で、事務所と繋がっていて信頼のおける料亭になった。……そして今、大雅と花は父の到着を待っていた。「……お連れ様が参りました」引き戸の向こうから声をかけられ、花の心臓はひとつドクン……と跳ねる。思わず胸元に手をやる花の反対側の手を、大雅がそっと握った。「……お父さん、」叔父の家まで行った時、見かけた父よりさらに痩せた姿。生成り色のシャツとグレーのスラックス姿のウエストが細いことにいち早く気づいた。「悪かった……」テーブルの向こうに座るより先に、一歩部屋に入ったところで崩れるように正座をして、花に……その先の大雅に頭を下げる父。「……どうしてなの?」畳に額を擦り付ける父に、花は意外な感情が湧いてくるのを感じていた。「どうして急にいなくなったのよっ!会社も、家族も……全部置き去りにしてっ!まとまったお金まで持っていかれて……結人が、ど
「哲平、午後休だって?」「ミミさん、お疲れさまです」「お姉さまのマネージャーとプライベートと、なかなか忙しそうじゃん!」お姉さまというのは、今俺が担当している大御所女優のこと。……思い出した。そう言い始めたのは目の前のこの人、花園ミミだった。「プライベートって言っても、楽しいものじゃないですよ?」「知ってるよ。私は大雅の親友だよ?」緩やかに巻かれた長い髪をなびかせ、体に張り付くようなタイトなワンピースに身を包むThe・女優のくせに、どこかあったかくて親しみやすいキャラクターはたぶん素だ。「いろいろ動いてくれてるんだね。ありがとう」「……いえ、ミミさんにお礼を言われるなんて、身が引き締まります」「親友を助けてくれてるんだもん。当たり前じゃない!」適当に喋っているように見えて、誰に聞かれてもおかしくないよう言葉を選んでいるのがわかる。そんな気遣いができるのは、この世界ではそう多くない。俺は尊敬の気持ちを込めて、ミミに会釈した。「機会があったら私の担当マネージャーになってほしい!」歩き出そうとする俺の肩をポンと叩いてくれたことが、まるで励ましのように感じた。振り返ってお辞儀を返しながら、俺は事務所を後にした。向かうのは、ようやく突き止めた花の父親の居場所だ。そこは東京のドヤ街と言われる簡易宿泊所が軒を連ねている場所だが……果たして本当にそこにいるのか。俺は期待と不安を半分ずつ抱えながら目的地を目指した。途中昼食を取ったり、担当する女優から連絡が来たりして、到着した頃はすでに夕方。辺りは薄暗くなりはじめ、西の空は夕焼けに染まり、辺りを赤く照らしていた。「あさひ荘……寿企画」あさひ荘は、花の父親が寝泊まりしていると探偵が掴んだ簡易宿泊所、そして寿企画は日雇いの仕事を斡旋する事務所の名前だ。駅前は安く飲める居酒屋やさびれた焼き鳥屋がひしめき合っていたが、少し歩いていくと、とたんに人影はなくなる。「あった……寿企画、」感覚で探し歩いてしまったことに後悔し始めた時、それは突然目の前に現れた。四角い看板が白く浮かび上がっている。近づいていくと、窓越しに人がいるのが見え、外で少し待ってみることにした。次々と出てくる人の手に、茶色い封筒が握り締められている。「日払い可」の貼り紙が出ているところをみると、今日の稼ぎを手にした人たちということ
「え……ソロに変更?」「うん。VÉLOURSのライブとして準備してきたのに……突然でヤバい」「いや……美味しそうです」春奈・圭一夫妻が、春希を正式に養子として迎えたいと話に来た翌日。帰宅した大雅から意外な話を聞いて驚いた花。「……美味しそうってなんだよ」「あぁ……私はボーカルの大雅さんのファンなので」えへへ、と笑いながらキッチンに逃げる花を追う大雅。「こんなに毎日独占してるくせに。まだ美味しく食っちゃうつもり?」「それは……言葉のあやですよ?本当に食べちゃうわけじゃなくて、ライブで見せる家とは違う大雅さんが美味しそうなんです……飛び散る汗とか、流れる汗とか?」「汗フェチか?変わってんな」首すじに口づけたところで、リビングで遊んでいた春希がトト……っとやって来た。「すいとー!」春希はのどが渇いたらしい。冷蔵庫に入れた小さなボトルを渡してやると、またトト……っと小走りでリビングに戻ってしまう。「なんか、成長したよな」「はい。今までなら、一緒にギューしたがったのに……」「離れていく、第一歩かな」瞬間的に大雅を見上げたのは、声に、今までのような悲しみがなかったから。幼稚園入園という大きなイベントを控え、決断しなければならないのはわかるが、花はあまり無理をしてほしくないと思っていた。「単独ライブのタイトルは『THE FIRST ACT』。東京を皮切りに、全15都市を回る。……花には、ついて来てほしい。スタッフにもファンにも、花を紹介したい」「大雅さん、それ……前にも言ってくれましたよね?」「あぁ。今回急に単独ライブになったことには、意味があると思ってる。でもこんな仕事の変更は今回だけじゃない。これからだって、こういうことは何度もある。急に仕事が変わって、家に帰れなくなって……そのたびに春希を誰かに預けることになる」さっきは悲しみなんて浮かべなかったのに、みるみる表情が歪んでいくのがわかった。……バカだな、私は。大雅さんは今、とても大きな決断をしようとしてるんだ。「単独ライブなんて突然の出来事に、意味でも見いださないととても手放せない。だから決めた。春希は……圭一と春奈に託す」本当にいいのかと、確認しようと思えばいくらでもできた。春希を手放す理由には、少なくとも自分との結婚があるはずだ。ふと、こちらに背を向けて遊ぶ春希の小さな
『大丈夫、お姉ちゃんがいるよ!』 姉は、何度そう言って俺に笑いかけてくれただろう。 両親が亡くなったのは、姉が高校生、俺は中学生だった。2人で父方の叔父の家に遊びに行っている間に、両親は趣味の登山へ出かけることになった。……まだ寒い早春、まさか、あんな知らせを受けるとは思わなかった。 『急に暖かくなるみたいだから、くれぐれも気をつけて』 叔父が携帯で両親に伝えている声を聞いた。……大丈夫!と言って笑っている父の顔が思い浮かんだ。早春の連休……まだ布団のなかで、おぼろげに聞こえたのを覚えている。 その夜、両親が行方不明になったと連絡を受けた。叔父夫婦は駆けつけ、姉と2人で残された慣れない家。姉は俺に何度か言ったんだ。 『大丈夫、お姉ちゃんがいるよ!』 両親はそのまま、帰らぬ人となり……俺たちを預かっていた叔父夫婦は、申し訳なさそうに言った。 『ごめんね、私らも……暮らしていくだけで精一杯でさ』 きっと、捜索にお金がかかったのだろう。叔父夫婦は俺たちに一万円札を10枚ほど握らせて玄関へと背中を押した。叔父が借りてくれた小さなアパートで、姉と2人の生活が始まり……両親の葬式はできなかった。 「春希……」 花との間に春希を寝かせるようになって、いくつの夜を過ごしただろう。 2人とも寝相が悪くて、とんでもないところを蹴っ飛ばされて飛び起きたことがあった。花が来る前は、夜中に熱を出した春希を抱っこして、オロオロ家中を歩き回ったこともある。 「そんな時、駆けつけてくれたのは春奈と圭一だった……」 海外での撮影、全国ツアー……そのたびに喜んで預かってくれた。姉に言われた『はるきを守って……』という最後の言葉を実行できたのは、支えてくれる人がいたからだ。 「……花」 君は、一番の被害者だ…… 初対面での乱暴な俺の振る舞いを責めることなくここへ来て、自動的に春希の面倒を見させた。それが報いだと、花にも春希にも失礼な思いを抱いたのに……今もこうしてそばにいてくれるなんて。 大雅はそっとベッドを降り、姉の遺影が飾られている部屋に向かう。 「姉さん、俺は……どうしたらいいんだ」 優しい笑顔のまま、姉は何も言ってくれない。その笑顔の中に、ずっと感じていたものがあった。それは……寂しさ。 友達が勝手に応募したアイドルのコンテストで予選を通過して、姉に
「自然が多くていいところよ!」春奈・圭一夫妻が大雅の家を訪れたのは、哲平がやって来た夜から間もなくのこと。「園長先生はご夫婦で園を運営されてて、先生もたくさんいたわ。何より、お2人の教育理念が素敵でね?『幼児教育は、机に向かってする勉強より環境から学ぶべし』って!」力説する春奈の話に真剣に耳を傾け、パンフレットに見入った。時間を見つけては幼稚園を検索してきた花にとって、春奈夫妻が勧める幼稚園が、いかに魅力的なのかよくわかった。「行事も多くて楽しそうですね。お芋掘りチャレンジカップとか、春くん喜びそう!」「ハロウィンの仮装大会とかね?……保護者も一緒に楽しめるらしいわ!……私なら魔女の格好をして、春くんには、」楽しそうに話すのを春奈は途中で切った。「ごめんなさい。出過ぎたこと言っちゃった」そんなことない、と言ってあげたいが、自分が言っていいものかと悩む。すると春奈の横に座った圭一が思い切ったように口を開いた。「大雅、今日は正式にお願いに来た」ゆっくり視線を上げ、大雅は圭一を見つめる。「春希くんを、俺たちの長男として育てたい。できれば幼稚園に入る前に決断してくれないか?入園してから家も名字も親も変わるなんて、春希くんに余計な負担をかけたくないんだ」そうか……入園させるとなると、手続きの関係で戸籍や住民票、その他公的な書類が必要になる。花は以前聞いた話を思い出した。大雅と春希は養子縁組をしたわけではなく後見人だと。「私は、子供が望めないの。圭一は、それを承知でプロポーズしてくれた」大雅はそのことを知っていたようだ。それでも、重い事実を口にした春奈を慰めるように見つめる。「圭一をお父さんにしてあげたい。……でも、それだけじゃないの。私たち二人で、春希くんの家族になりたい」」花の目に涙が浮かんだ。でもそれを見せるのは失礼な気がして、新しいお茶を淹れ直すことにして席を立った。そこへ、昼寝から目覚めた春希がリビングへとやって来た。花はキッチンでお茶の準備をしながら、春希がどこへ行くのか……つい目で追ってしまう。ドサッと体を預けたのは、ソファに座る大雅。器用に膝によじ登り、広い胸に頭を預けてシャツを握る春希に大雅は目を細めた。この日、大雅はろくに言葉を発しなかった。その理由がわかるだけに、夫妻も自分たちの意向だけを伝えて帰ってゆく。……